ウィーン少年合唱団 ~ はるか彼方の存在 ― 2008年11月23日 21時05分05秒
野ばら、ます~天使の歌声 ウィーン少年合唱団(PHILIPS 6448 073 / 25PC-55
発売元:日本フォノグラム株式会社)
1955-1963年録音。
1980年発売。
最初に「 5.アルファベットの歌Rubert Kuehbacher, conductor and piano」を聴いてみた。ん~(PHILIPS S 06066 R)と同じ。なんとなく安心。(変だけれど)
これは私にとってたぶんリアルタイムのLP。でも、オリジナルの方が魅力的。魅力的というのは、良いところも悪いところ(弱いところ)も含めて、指揮者の個性が作った世界を味わいたい、ってことなんだろうな。
もちろん、これは、選り抜きの完璧なWSKとしての看板の1枚、には なっているが。
その分、野暮ったいのがプログラムから落ちている。そこが面白くないのかも。
私がWSKの経営者だったら、WSKとしての完全無欠の盤を世の中に送ることができれば一番良いのであって、そのときの指揮者が誰、とか ソリストが誰、とか 名前を付記するよりも、名前が無い方が、それが良い演奏であればあるほど、より普遍的にWSKの演奏として浸透していくのかもしれないと気が付いてしまった。
下手なときだけ、指揮者やソリスト名を明記すれば良いのだ、って。
子どものスター意識を摘むというよりも、上手だった時期は「普遍」を狙ってソリスト名を記載しない時期が続いたんじゃないのかなあ。だからWSKのソリストを記名しない方針は、WSK自体の存在にはプラスになっていると思う。(皮肉、皮肉。ひねている私)
気にしつつ聞くと、フロシャワー氏指揮では音がストレートに聞こえるのに対して、グロスマン氏指揮の「3.シューベルトの子守歌」は、微妙にエコーがかかり、やわらかな声の響きとの相乗効果で、合唱が、夢のように聴こえてくる。
「4.皇帝円舞曲」…アルトが良いなあ。ソリストはソプラノパートは高い音が詰まっている感じ。誇り高く凛々しい男の子の声だけれど。最後、音を伸ばすところも感動的だし。
このLPのHelmuth Froschauer, conductorは、ソプラノパートが萎縮している声に聴こえる。録音の違いかもしれないけれど…。荒城の月には指揮者名がなかったけれどソプラノからして彼だろうな。
と~っても微妙なところなんだけれど、合唱の伸びやかさを、私はよりFerdinand Grossmann, conductorの方に感じてしまった。かなりの開放感です。「8.きよしこの夜Gerhard Lang, conductor」のデュエットも、かなりの開放感ですが。
合唱の「素」はRubert Kuehbacher, conductorがマル。声は幼げにシャープだけれど、テクニックはプロ。メリハリつけて大人でもここまで歌える? って尋ねたくなるほど上手です。アルトも良いこと…。
この頃って、もしかして、キュイバッハ先生のクラスとか、フロシャワー先生のクラスとかラング先生のクラスとかグロスマン先生のクラスとかあって、それぞれの組がレコーディングや演奏会の競演をしていたんだろうか? ため息がでるほど、すごすぎる妄想だけれど。
華やかでシャープでキラキラしたキュイバッハ組と、おちついておおらかなフロシャワー組、そして優雅なグロスマン組…それぞれの良さを1枚につめて、看板を出していたんだなあ、WSKは。これじゃ、他のCHOIRがかないっこないよ。って思った。
出だしに、(PHILIPS S 06066 R)と同じ。なんとなく安心。って書いたけれど、聴き終えた今は、全くの別物イメージ。天空のウィーン少年合唱団です。
存在がはるか彼方。地上で見上げているだけの私。
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