ボーイ・ソプラノ Ian Ford & Oliver Hayes (ケンブリッジシャー少年合唱団) ~ 2人のボーイ・ソプラノのためのミュージック 「薄明の悲しみ Light Sorrow 」2009年01月21日 19時27分41秒

薄明の悲しみ Light Sorrow

 作曲者カンチェーリは1935年、旧ソ連のグルジア共和国首都のトビリシ生まれ。

「薄明の悲しみ」はファシズム鎮圧40周年を記念してゲヴァントハウス管弦楽団と音楽出版社ペータースから委嘱され、第二次世界大戦の犠牲となったすべての子どもたちに捧げられている。
(とまあ、国内で発売された盤を入手したので知り得た情報で、もしもこれが輸入盤だったらお手上げ状態だったと思う。)

ブックレットには「警告!」と書かれてある。
<くれぐれもボリュームにご注意下さい。広大なダイナミック・レンジがカンチェーリの音楽の一つです。・・・穏やかなフレーズを聴きやすくするために、ボリュームを上げ過ぎると突然音が大きくなることがありますので、十分ご注意下さい。>

 ・・・そうなのだ。ppp(決してpではない)からfffへの音量の移動が激しくて、怖くてとても音楽を楽しむという感じではない。もちろん、作曲された意図を考えると「楽しむ」音楽では最初からなかったかもしれないけれど、昔のミサ曲は少なくてもゆっくりとは聴くことが出来るのだが・・・。

理性よりは感情で、心の赴くままに、書き上げた曲、にも思える。
民族性かもしれないが、受ける印象は非常に情緒的。大宅渚氏は、劇場的な感覚に脱帽と書いて居られるが、私はどこか旧ソ連系に通じる「情緒」に思えた。

ボーイ・ソプラノが受け持つのはp~pppまでのレンジ。
タビジェとゲーテ、シェークスピアの詩句や言葉が歌われているそうだが、p~pppで聞き取りにくいのが難点。

ボーイ・ソプラノを楽しむために私は、fffの音量をギリギリ耳に耐えられるところへ持って行ってから、改めてpppのソロを聴いたが、必死でpppを聞き取っているといきなりfffになるものだから耳と心臓に悪かった。

それに静かな本当に静かなpppのソロの途中で何回もアクセント的にfffの金管が入ると次の瞬間のpppソロを聞き取るのは難しいのだ。作曲者へ一言。並の耳の能力を視野に入れて欲しい。

さて二人のソリスト、イアン君とオリヴァー君。名前はイアン君が先に掲載されているので、普通なら登場回数の多い細い密のような声がイアン君で陰のように追ってくる少し低く落ち着いた声がオリヴァー君と考えるところだが、逆らしい。
(イアン君にはプライベートCDが存在するが、CHOIR友だちからそれを聴かせてもらっての推測)

二人とも危なげない安定した声を聴かせている。録音時にはきっと普通に歌っていることだろう。それを操作してpppで再現しただけだ、きっと。・・・と思うと、腹が立つ。
もっと「声」が聞こえる状態で聴きたかった。声が重なるところなんかきれいなんだから。
二人の出来が良いだけに非常に残念。いつものようにヘッドフォンで集中して聴いていたら、耳の付け根と肩が凝ってしまった。

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