少年合唱 REGENSBURGER DOMSPATZEN ~ 抜群の安定性で集中して曲を楽しむことが出来るChoir2015年02月21日 22時18分37秒




 私が少年合唱に全力で夢中になっていた頃は、レーゲンスは完璧ラッツィンガー時代で、その演奏の隙のなさに、当時、私は入って行けなかったのですが、数十年後に両シュレムスのレコードで目覚めて以来のレーゲンス・ファンです。という割にはレーゲンスを数年ぶりに聴いていますが、私の愛機Tivoli のCDプレーヤーにピッタリの素晴らしい演奏で本当に大満足です。なんて上手いんだ!(なんてステキなプレーヤーなんだ・・・)
 ここ数年はキングスカレッジのレコードを集中して聴いていたのですが、レーゲンスの演奏も彼らに通じる完成度の高さがあるけれど、違いは、レーゲンスの場合、アルトパートを男声ではなくて少年声が担当していることが大きいです。
 しかも、この盤には、少年声にプチ・スーパー・ソリストくんが存在するのです。(プチというのは、もっと歌って欲しかったから。) そのスーパーな声は12番と22番、24番で聴くことが出来ます。12番ですが、ソプラノソリストくん、宗教曲で、こんなに艶っぽくドキドキさせてくれて・・・良いのでしょうか? 次のアヴェ・マリアに繋げていくのですが、その合唱が又、良いのですよね。
 宗教曲集CDかと思ったら、おしまいの数曲の傾向が変わっているのは何故なんでしょう。
 24番が「夜」です。この曲はパリ木とか、LES CHORISTES のモニエくんの曲という印象が私にはありましたが、レーゲンスの分厚い完璧な合唱を背景に歌われるソリストくんの演奏もなかなかに魅力的です。レーゲンスってソリストの印象が薄いですが、この盤での少年ソリストくんの存在感はかなりのものです。もしかしてソリストくんのための選曲?
 とにかくレーゲンスは文句なく上手い! せっかくのプレーヤなので、これからレーゲンスのCDを出して来て聴こうかな。

合唱こそ命 ~ レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊2011年08月15日 14時19分52秒




JohannesーPassion BWV 245(Archiv Produktion/3310 416-418/1979)
Regensburger Domspatzen / Collegium St. Emmeram /Hanns-Martin Schneidt

Tenor(Evangelist)Heiner Hopfner
 Bass (Jesus) Nikolaus Hillebrand
Boy Soprano (Arias, Maid) Frank Sachesch-Pur
Boy Alto- Roman Hankeln
Tenor(Arias, Servant)Aldo Baldin
Bass (Peter, Pilate, Arias) Hans Georg Ahrens

 もう30年近くも前のことです。当時のCHOIR友だち(Mさんお元気ですか?こちらはひっそりとファンを続けていま~す)から「下手だけれど、あげる」という一言付きでいただいたのが、このカセット3本組でした。その方、たとえば、当時、テルツとWSKのドイツ・ミサを聴き比べてWSKに軍配を上げていたので、おそらく文系揺らぎよりは理系端正さに惹かれていたんだろうと思います。とにかく中でもドイツ語系のCHOIRに特にも詳しい方でした。(以上、思い出話)

 古楽器かな?GOOD!です。 何よりもレーゲンスの合唱とコラールが良いです。音の成分の中に、人間的な狡さが心のいやらしさが無いので聴いていて疲れません。もしかしたら合唱は人間の愚かさを出した方が作品として立体的になったのかもしれませんが、それは他の演奏団体がすれば良いことですものね。(赦免して欲しいのは)「バラバ!」と叫ぶシーンですら精神がクリアに聴こえてきます。楽器のひなびた感じがコンディションの良いとはいえないテープのヘロヘロ感との相乗効果で、素朴さ倍増。でもって、聖歌隊員の域を出ないソリスト団員くんたちの真面目な歌唱力にも好感が持てます。なんといっても合唱も含めてソプラノとアルトを少年たちでまかなっているのが、超高ポイントです。

「声の過剰な演技」が大人たちにも無いので、全体的なバランスも良いように感じます。聴き所はアルトとソプラノのアリア、ですかね~。もうちょっと華があったらなあ~。譜面見て一所懸命歌っていみたいに聴こえてくるんですもの。なんて、いかん、いかん。
個人的には説明部分のパートを省いて(作品の主役が消えるけれど)、アリアだけぶつけるように歌わせてみたら面白いかも、などと思いながら聴いていました。(←この場合、演奏は別団体になるな~) それとは別に、合唱&コラールだけ聴きたい。とも。
レーゲンスは本当に合唱が麗しいです。だから、説明部分(Evangelist)も合唱でしてくれたらなあ・・・と思ってしまいます。アリアだけソリストに歌わせて、それ以外は全部、合唱で・・・なんて思って聴いていました。

レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊~もしも聖歌隊員になったとしたら・・・2010年08月14日 18時59分09秒




DOMSPATZEN(Bestell-Nr.1735878) 2008

 「輝ける天使たち」に登場したハノーファーの団員、以前の団員くんたち・・・あのようなレベルで入隊した隊員くんたちの1年が描かれています。

 最初の1日から。
 過ごす部屋にも興味津々。そっか~、もしもツバメくん(レーゲンスの隊員)になったら、こんな感じなんだ。

 隊員以前の隊員くんも、毎日の練習で1ヶ月経ち2ヶ月経つと・・・。それなりになってきます。

 このDVD、新人くんたちの歌ばかり聴かされるとキビシイからなのか、合間合間に、絵はがきのように美しいレーゲンスブルクの街の風景に、本来の聖歌隊の合唱が流れます。これが、本当に麗しいわけ。そこで一息つくと又、新人くんたちの歌・・・。これを繰返していくうちに、1年も経つと新人君たちの歌がレーゲンスの聖歌隊の演奏と違和感なくなってくるんですよね。指導ってすごいなあ。

 あ、食事のときに、レーゲンスの団員くんたちは感謝のお祈りをしていました。
(どこかのCHOIRでは、お祈り無しに、晩ご飯に群がってましたよね?)

 ステップアップすると素直にうわ~っと喜びを表現し、ダウンすると布団の中で泣きながらママに携帯で電話する・・・隊員君たちの自然な姿が等身大に伝わってきます。

 レーゲンスの川で泳いで泥だらけになったり(水は汚そうだけれど大丈夫か? レーゲンスの橋の上から見ていたいな~)、ホームシックになってママに会いに来てもらって、ママに抱っこしてもらったり・・・。隊員くんたちはまだほんの子どもなんですよね。この映像、正直に現実を見せていると思います。

 親元から離れて団体生活をするのは小さい子どもにはキビシイことであるけれど、それでもなお、その生活の厳しさをクリアしたとき、その先にある素晴らしい合唱と演奏する成長した団員くんの姿に、この聖歌隊の隊員であることの価値を、見ることができるDVDになっています。

 昔、聞かされた、「○○はタダでも入れるCHOIRだけれど、レーゲンスはお金を出してでも入りたい(親が入れたいと考えている)子どもが入っているCHOIRなのだ」という言葉を思い出しました。

追記:このDVDは、リージョン・フリーのプレーヤーで視聴可能です。

レーゲンスブルク少年合唱団/広島放送児童合唱団 ジョイントコンサート ~ ファンには貴重なコンサートの記録音源2010年01月11日 18時30分22秒




レーゲンスブルク少年合唱団/広島放送児童合唱団(BRAIN CO.LTD BOCD-h311) 1991年8月8日広島厚生年金会館ホールで録音。

両シュレムス氏に出会ったことが原因で私にとってのレーゲンスは今もっとも重要な位置を占める合唱団の一つだ。
レーゲンス(レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊)は、今まで、ささやかに二度ほど聴いた。
初来日までの前評判がかなり高かったこと、私にとっての初レーゲンスが鋼鉄のラッツィンガー氏録音LPであること等々あって、初来日から数十年後の生レーゲンスは、思ったよりも柔らかいな~と感じた記憶がある。
この盤に収録されているレーゲンスも印象通りのイメージだ。

ライヴ盤は録音のコンディション的には良いのではないだろうけれど、雑音や咳等も含めて、自分自身が聴いた思い出まで詰まっているような気がして私は好きだ。
(私自身が1991年8月8日の演奏会を聞いた訳ではないのですが)

収録された演奏を聴いていると、少年声の声質、男声の声質を思い出して、レーゲンスに浸ってしまう。

一回勝負なので破綻している箇所もある可能性もあるけれど、臨場感と思い出に溢れたライヴの良さをしみじみと感じさせる盤であると思う。そのとき歌われたソプラノの一声はそのときだけのもの・・・。
大切な瞬間がとらえられたライヴ。

商品としては存在しなくても、思い出として、実は、ライヴ盤がこっそりと作られている節がある。

そしてそれが・・・温かい。演奏者と家族と演奏者を支えた人たちの記録であり記念だから。
私がこの道楽の行き着く先はプライベート盤、というのは、そういうことです。

内部の温かい交流の記録があったら是非にも聴いてみたいものです。関係者の皆さま、Nyandaに、関係者価格で、お譲りください。

レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊~世界を満たす黄金の光の声2008年10月30日 20時30分46秒

レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊

IV. FORSCHUNGSBEREICH Hochrenaissance(16.Jh.)
GIOVANNI PIERLUIGI DA PALESTRINA:Missa Papae Marcelli 8 Motetten(ARCHIV PRODUKTION 14182)

1961年10月6~9日録音  Dirigent Theobald Schrems

 レーゲンス・モードに入るのに相応しいとして、最初にこのレコードを選んで聴いた。合唱が始まると同時に、脳裏にパーッと草原のイメージが拡がった。青々とした草原ではなく、風景全体がどこかうすい黄金の光に染まったそよ風吹く草原である。

 レーゲンスの合唱はおだやかにやわらかくそして限りなく心やさしい。選曲はパレストリーナの「教皇マルチェルスのミサ」とモテット。曲の静かさ清らかさと相まって、各パートが一つの色彩の音(一人の団員が幾重にも人数分の録音を重ねたような音)に訓練されきったレーゲンスの合唱は、聴く者の魂を天上の光で包んでくれる。

 おそらく、神に対立する立場や神の国から遠いことを嘆くたち立場からではなく、神の波動に浴しその波動の一端を伝える立場で作曲したと思われるパレストリーナの作品を、神さまの世界の内側に属している声で歌い上げるレーゲンスのこの合唱は、シャープ感をそぎ落としているが故に、黄金の光となって世界を満たしていくのではないかと思われた。

 教皇マルチェルスのミサ曲は、真偽のほどは定かではないが、トレント宗教会議であらゆる多声音楽が教会から排除されようとしたとき(だろうなあ。宗教音楽って色っぽすぎるもん)、パレストリーナがこの曲を作曲して、ポリフォニー音楽が宗教性と両立しうることを証明して教会音楽の危機を救った作品。なそう。
 だから、ある種の教会音楽にあるような色っぽさはあまりなく、だからといって宗教くさくもなく、魂が徐々に解放されて軽くなっていく。

 ミサ曲は通常文という歌詞しか選べないが、モテットはさまざまな主題を持つ歌詞を選べる、のが違い、なそう。

 レーゲンスの合唱は、光や大気の如く、質感が無い、というか、希薄。
 宇宙空間に浮かんで、360度、あらゆる方向から聞こえてくる合唱に包まれる感じ。
 ハンス・シュレムス・レーゲンスよりはかなり現実的な音、ではあるけれど。

 幾分、少年声に傾いた、各声部の音量配分も技術も完璧で、相変わらず、すきがないほど上手なレーゲンス・ワールドが展開する。