時源澪 漫画 「霊界物語」(天祥地瑞)定価6,000円:原作 出口王仁三郎2018年04月03日 15時07分53秒


 出口王仁三郎原作の「霊界物語」が漫画で出ると聞いたので、数十年ぶりに本を読み返してみました。必死で読んだけれど、半年かかっちゃった。しかも、全く内容を覚えていなくて新鮮! 本は厚いし小さい文字の二段組みだし、もしかしたら数十年前の私は、ギブアップして「霊界物語」を読破出来なかったのかもしれません。
 ですが、登場人物の名前は覚えていたりするんですよね。スマート様とか ・・・。何より、読み進んでいくと、恐ろしいことにしっかりと付箋が付いているのでしたー。とりあえずは投げ出さずに字面だけは読んだのかも。それとも私担当の妖精さんが私の代りに読んだのかも? ・・・の半年でした。
 数十年も昔に霊界物語のような当時の私には高額な本を買ってしまったのは、ノリに過ぎなかったとしか思えませんが、読み返した今でも、当時からの進歩も無くて、なんか、わからない、登場人物たちの行動はどーしてそーなる?・・・の半年でした。(ちなみに私は信徒さんではありません。) 
 その???の疑問の答えが、漫画にさり気なく書かれてありました。
 この本の前書きが王仁三郎氏の係累の研究者出口三平氏であることも脅威であり、貴重だと思います。
 さて漫画ですが、私のおすすめは、実は、最初の漫画の「ONIさん こちら」です。もしかしたらこの1作に壮大な「霊界物語」の世界をを通して作者の王仁三郎が伝えたかったことが結晶化されているのではないかと感じました。
 でも、ですね。私は、漫画を読んだだけでは原本の霊界物語の深奥に触れえないんじゃないかと思っています。どうしても原作は読まないと・・・。
 同時に、王仁三郎氏の「霊界物語」を読んでからでないと、漫画の深奥にも届かないような気もしました。原作を読んだのちに漫画を読むと「あーそーだったのか・・・。」と、より心に響くものがありそうです。 
本の発売元というか、問合せ先はこちらにありました。↓
 原作の霊界物語の大半は、現代社会のように、嫉妬や不倫や権力闘争、侵略等々で世界が動いて行きます。自分の意志で良かれと思ってしているつもりが、実は、それすら神さまの計算だったりします。それから組織に所属している人たちの間で争い事が起こると、勝つのは本当の上層部のみで、中間層以下特にも下層部は無残に切り捨てらるような気がします。組織内で生き延びるのは一握りの上層部のみでトップに逆らうと居場所が無くなるのは今も同じような? それは誰がまたは何が正しいとかそういうことではなくて、ポイントとして、大切なのは組織の存続なのだなーと思い当たる訳です。 ・・・私はコレで、神さまを斜めに見るようになりました!
 (Hetsujiもサラリーマンを約40年しましたけれど、その論理には思い当たることがあります。何かあったら切られるのは部下、問題にブチあたっても思えば最下層のHetsujiが直接申し開き出来る場も与えられていないようなシステムでした。だからこそ実力のある良い上司の下に配属されないとサラリーマンは生きにくいし、上層部に最下層の声は届かない)←それがもしかして神さまがつくったシステムなのではないかとか霊界物語を読んで思ったんです。
 むろん、それでも、私は命ある限り、折り合いを付けながらこの世を生きるしかないのですが、どのように折り合いを付けていくのかも、原作&漫画の霊界物語には、さりげなく書かれてありました。精神的に丈夫な方は読み取ってください。
 また、この漫画は、制作ノートにも相当の価値があると私は踏んでいます。
 この本は漫画と言っても全体では600pを超えているので、意味を読み取ろうとか頑張ると、読み終えることすらかなりハードです。
 ですが、漫画と原作の相乗効果で霊界物語が立体的に見えてくるよーな気もするのですよね。おそらくこの漫画は、時源澪という作者が原作者王仁三郎に対して「<霊界物語>をこんなふうに解釈したよ」と言っているよーな気がしました。
 原作と漫画を読んだことで、私には、王仁三郎と時源澪と主様が、時空を超えたどこかの広大無辺な居間で、14冊の赤い本と1冊の黄色い本を前に、「霊界物語」の存在とその作用について悠々と談笑しているようなイメージが浮かびました。

amazarashi あまざらし 千分の一夜物語 スターライト2016年05月16日 19時54分39秒



(AICL 2867-8)
 1曲1曲の完成度がものっすごく高いことに驚かされる。そして言葉と音とのコラボが超自然。超完璧。時代の吟遊詩人。
 これだけ成功している(売れている)のに、未だに未成年時代の満たされない心を持っていて、創作の原点が常にそこにあるのもスゴイと思う。それがある限り永遠に歌っていけそう。
 私は amazarashiの、にわかリスナー。信者さんを何処へ導くのかなあ、とか思いながら聴きました。モーゼなのか、ハーメルンの笛吹きさんなのか、彼の心の叫びを聴いているうちに、何処へ連れて行かれるのかなあ、って。

amazarashi 世界収束二一一六2016年05月15日 11時06分07秒



(CD+DVD)
 収録曲に「百年経ったら」があります。今年が2016年なので、この作品の2116は百年後を意味しているのかな? 作者は住めなくなった地球に見切りをつけて宇宙船で旅立つ人たちを見送っているのですが、思うに、ないない、それは無いですって。みんなが出て行ったら、地球は全部自分のものじゃないですか? 残る人、いますって。逆に、とっととみんな出て行ってほしいとか、思っている人、いるかも、ですよ。
 詩の文字数が多すぎて、正直、文字だけだったら読みたくないです。・・・が、その文字が「音」に乗ることによって、これだけ輝くってスゴイことだと思います。スッと耳に入ってきますから。言葉と音を融合させることについて「天才」ですよ、この方。
 自分自身を構成するピースの一つに、「稼働」していないところがあって、そこに空白を感じ(本当は空白ではないのですが)、「エンディングテーマ」の「心が痛いよ 涙が止まらないよ」という詩の言葉が出てくるのだと思います。でもね、この方は、「稼働」していないピースと向き合うことで、人間としての感性が磨かれて、大衆を動かすエネルギーを持つ作品を創作できるのだと思います。多くの人間が共振する曲をこれからも「稼働しないピース」がある限り、創り出して行けるでしょう。

amazarashi 夕日信仰ヒガシズム ~ 覚悟の無い自己肯定のやさしい甘さの心地良さに癒される2014年12月01日 05時45分37秒



(Sony Music Labels AICL 2753-4)  2014.10.29

 一昨日、初めて amazarashi という人の『穴を掘っている』を聴いてビックリ・・・いったい、これはなんなんだ? 何を歌っているんだ? you tube で数曲聴いたけれど、らちがあかない。ということで、昨日、買って聴いたのがこのアルバムです。
 とにかく、言葉が響いてくる。響くような声と歌い方をしている。人の声が音楽の主人公になっているところがスゴク良い。
声と歌い方は、尾崎豊とさだまさしを足して2で割った感じかなと思いました。叫ぶように歌っているんだけれど、声がとってもきれいで音そのものがクリアで気持ち良いんです。


 詩の単語のあやつり方の麗しいこと。詩っぽくない言葉がアクセントになっている。哲学なのか宗教なのか、わからないけれど、この作品は作者の哲学であり、宗教でもあるんでしょう。そして、想いを誠実に表現しているから、伝わってくるんですね。さすが、プロ。
 一番、スッと入り込んできたのは「11 ひろ」。大人がくだらなくて子どもがその対極にある、等の固定観念が残っているのは残念(見ていて子どももかなりいやらしさを持った小さな大人をしていることがあるから)だけれど、そこはお定まりのコースだから仕方ないか。
 
 こんなふうに伝わる歌を歌うことができるのは「くだらない大人」と形容しているあなた自身では? 19歳の時空を心に刻んで大切に生かしているあなた自身では?
 19歳のときのあなたには決して歌うことができなかった歌なのでは?
 アルバム全体を聴いて感じたのは、決して絶望していないこと。自分を肯定していること。そこが救われるような気がするんじゃないかと思う。

 
 

 価値観なんてひとそれぞれ。だから、心の中の羅針盤を信じて舵を取れば良いだけのこと。「急げ」とCDケースの内側に作者からの小さな小さな文字でメッセージがあった。でも、凡人にはこれが難しい。
 どう生きても失うものはあるし、得るものもある。んじゃないか。 19歳のまま歌い続けるamazarashi さんも居るし、19歳の自分を得るために42年を費やさなければならない私も居る、だけのこと。変化するのはボディのみ。
 子ども時代の自分を大切に心に仕舞って生きている「汚れた?」大人は結構いるんじゃないかな。そういう人たちが壁に阻まれたり、何か傷を抱えていたり、ブルーな中でも、けなげに何かに向かう姿、あきらめない姿が共感を呼ぶんじゃないかな。彼ら自身に近い所で歌っているという臨場感もあり、聴いた中ではこのCDが一番かな。





anthology1386 (AIXL-50/BD)2014.03.26
ビデオクリップ集

 演奏者の声もきれいに採録されて音も素晴らしいですし、映像も1曲1曲の完成度が高いです。 amazarashiという個性を最大限に引き出した素晴らしいビデオクリップ集だと思います。
 100インチのTVで見たい。迫力でしょうね。あらためてメロディと声の美しさを感じました。ソリストの声は本当に素晴らしいですねぇ。
 ライヴも収録されており、ファンには嬉しい企画だと思います。私は、やはり、ビデオクリップの価値を感じます。
 歌詞に励まされる方もいらっしゃるんでしょうね。



(AICL-2603 ~ 2604) 2013.11.20
文字だけで見ると、字数が多くてしかも文字が小さいので、それだけで拒否したくなるのですが、音に乗せたとたんに、言葉が輝きだす不思議。天賦の才能なのでしょう。そしてメロディも心地良い。
ですが、一気に10枚くらい聴いて、食傷気味です。なぜって、日常への妥協が歌われているだけですから。又、聴きたくなることもあるかもしれませんが、今は、もう良いかな。私の人生には関係なさそう。お幸せに。って感じかな。
あと1枚聴いたら、こちらも日常の音楽へシフトします。



(Sony Music Labels AICL 2527-8) 2013.04.10

耳が良いというか、韻の踏み方が音に乗っていて、その手法がこの作者の魅力の一つなんだろうな。
『歌詞を見ながら聴きたい曲が、今いくつあるだろう。』とamazarashiのサイトには書いてある。つまりは歌詞の完成度も彼らの売り。・・・だったら、読みやすいライナーノーツとか歌詞集をお願いしたい。
この作品集も試行錯誤の真っ最中。題材がちょっと無理。もっと自分に近い切実なものを歌った方が魅力あると思う。
次から次へと言葉のマシンガンが・・・頭良さそう・・・。そしてこの作者はゴールを設定していないし想定もしていないから揺れたり苛立ったりするんだと思った。でも、揺れたり踠いたりしている方が作品的には聴衆にアピールするもんね。



0.7
AIBL-9254/DVD/2012.11.28
amazarashi 1st LIVE DVD 「歌声だけが見えている。」

カラフルなCDカバーは、すぐ上のシンプルなブックレットに、アニメのセル画を重ねるみたいに、3枚の絵と外ケースとを重ねて作っています。何か意味があるのか、気まぐれな遊び心か? (意味不明なので扱いにくさを感じます)


DVDとCDのセットです。音はCDの方が良いような気がしました。ガラスの破片のようにキラッキラの歌詞がマシンガンみたいに乱射される様が麗しいです。良かったら、初心者としてはDVDの映像の方には、タイトルと歌詞を入れてほしかったです。




(AICL-2380)2012.06.13

『歌詞を見ながら聴きたい曲が、今いくつあるだろう。』
 正直、歌詞が特殊なので、歌詞カードが無ければ、歌を完璧には聴きとり出来ないです。そこが尾崎豊との違いです。

 素人のナレーションが気になりました。 
 宮澤賢治ふうなのも。もどきはもどき、でしかない、と賢治さんファンとしては思います。

 発する作品に対しての覚悟の無さも気になります。
 存在の状況に対しての反抗を装っておきながら、謝罪している姿勢が、私は甘えだと思うし姑息だと感じるけれど、世の多くの人にはそのスタンスが逆に繊細さや脆さや生きている気遣いとして共感を呼ぶのかもしれません。

 



(AICL-2319 ~ AICL-2320) 2011.11.16

  1st アルバムらしいです。CDサイズの本格的な本仕様のブックレットが付いていて驚きました。ここまでされちゃうと、アーティスト冥利に尽きるでしょうね。
 『歌詞を見ながら聴きたい曲が、今いくつあるだろう。』
 見てビックリ!でした。耳で聴いていただけではわかりませんでしたが、歌詞の量が半端無く多いのです。その言葉を音符に乗せて自然に聞かせている力量たるや、常人の域を凌駕しています。
 ホントにホントにすご過ぎる能力値。
 歌詞(作者は詩歌と表現していらっしゃる)だけ先に読んだとしたら、これらに旋律がついていていとも自然に歌われている、とは信じがたいと思います。
 モチーフの多くは自己主張ならぬ自我主張の叫びで、もっともアピールしやすい主題でもあります。
 空っぽの空とは何か?
 暗いところとは何か?
 ・・・追求しないで、今まで歌ってきたことのバリエーションで続けるんですかね? ま、答えを探して、提示するよりも、疑問符で叫んでいる方がきっと売れますよね。
 千年なんてきっとあっという間ですよ。
 『デスゲーム』が、ど~して『未来づくり』なんて妥協してしまうんですかね? このアルバムは完成度が高いと思いますが、『未来づくり』にはガッカリです。
 宗教へ行かずに追求も可能だと思います。
 今までの詩歌で提示した疑問符への答えを見つけて、歌って欲しいものです。出来るものなら。ですが。






(AICL-2240) 2011.03.16


 一見不必要と感じるほど多い言葉たちの浮遊感と言うか遊びは相変わらず。が、声に悲哀があり、叫びが訴えとして伝わってくる。必ずしも、率直な歌詞ではないのに。
 ずっと聴いてきて、私にはこの盤が今回、最後の作品。

 魅力は、『声と旋律』。歌詞が螺旋しているしている割に、旋律は実に親しみやすく耳に心地良い。

 作品は詩歌という独特の立ち位置。
 スタインウェイのビンテージも簡単に手に入れることが出来る今、作者へ、どこへ行くのだろう?




(Sony Music Labels AICL 2195)  2010.11.24

 作者は本を読んでいそうな感じとか、勉強していそうな真面目な感じとか。目の前に材料はたくさんあるんだけれど、結晶するまえに見せてしまった作品群って感じかも。
 ことばのリズムが気持ち良い。例えば、『ポルノ映画の看板の下で』は、お経のリズムに似ているところがあったりする。
 気持ちが煮詰まっていて、でも答えが見つからなくて踠いているような作品に思えた。




(AICL-2128) 2010.06.09
 
 

 どことなく「スタンドバイミー」的な映像が浮かんでくる『夏を待っていました』は、〈鬼は迫り来る時間の流れ〉というフレーズが詩歌している。この感性を維持するために感覚を研ぎ澄まし続けるには、通常の生活は難しいんだろうな。
 順不同でCDを聴き続けているうちに、なんとなくパターンを感じたりするようになりました。最初は、「???」で訳が分からないところに魅かれましたが、次のCDは余裕で聴くことが出来そうです。




2010.02 全国リリース作品『0.6』(rep-028/TGCS-6031)


すっごいなあ。とにかく、言葉が豊か。下世話に言えば、言葉の魔術師。言葉を操ることに長けていて、思いもかけない動きを、操られた言葉たちが見せてくれる。
 ただし、書かれている内容は、あるがままであることを受け入れることが出来にくいことを歌っていて、こういうのは、受け入れられやすいのだろう。自分のかわりにamazarashiが叫んでくれているのだから。言葉と旋律が固く結びついていて、伝わってくる、作品としてそこが強い。
 音楽のジャンルの分類に疎いが、どこかでロックだと書かれていたが、『ムカデ』を聴いたとき、リズムがロックっぽいと思った。リズムもメロディも言葉遊びも最高潮。でもって、緊迫感も。韻の踏み方が本当に上手い。題材の料理の仕方はアカデミックだし。
 表現内容ではなくて、表現技術が群を抜いているんだ。心象表現と写実的な表現とのミックス具合、題材の対比具合が絶妙。
 張りつめて、心の動きを追っているようにも感じるので、もしも、満たされてしまって、この緊張感が途切れたら、歌詞を書いて行けるのかとふと思いました。
『歌詞を見ながら聴きたい曲が、いまいくつあるだろう』帯に書いてありました。



2009.12『0』
プライベート盤らしいので入手できず。

欲しいです。
一応コレクターモードなので。
どなたかお譲り下さい。



 『穴を掘っている』という曲に衝撃を受け、11月30日にCDをありったけ買ってきて、にわかに聴いているところです。
 聴いている順番に、法則性はありません。
 12月6日現在の感想としては、この作者(詩人)は、自分が探している答えを見つけていない。見つけていない状況を表現しているのだ、ということ。答えが見つからない限り、限りないバリエーションで思索(詩作)を続け、人々の琴線に触れえる名作が生まれるかもしれません。
 答えは見つかるのでしょうか。見つけたのちにも書き続けることが出来るのでしょうか。そして、答えを見つけた以後の作品も売れるのでしょうか。
 ・・・などとボ~ッと考えていました。

サイトの再始動について2012年09月29日 18時10分49秒


 

 この8月は、CHOIR友だちに「社会復帰できなくなる」と言われるくらいに、今までの中で人生2番めに長い有休を取りました。(なおかつそれでもすべてを消化できなかったし特別休暇もまったく消化できませんでしたが)
 で何をしていたかというと、サイトの工事です。
 1999年に「Blue」という少年合唱とボーイソプラノの音源(CD等々)の資料を整理したサイトを閉鎖して以後、実は仲間内で続けていたのですが、その資料を整えているところです。イギリス、ドイツ、フランスを終えた時点で、1,580の音源を準備しました。(原稿の多いCHOIRのところでは飽きちゃって気が狂いそうになりました・・・)
 サイトマスターは私ですが、サイトマスターって事務系仕事なんですよね~。
 1月1日のオープンに向けて毎日せっせとPCに向かっているところです。なんとか10月11月で現在の資料を整えて、12月にはWSKのCDだけでもUPしたいところですが、正直、この12年、録音の多すぎるWSKには手が出ませんでした。
 どちらかというと過去録専門です。
 
 
 
 時が経てば(何年後かはわかりませんが)、内容はともかくとして、音源の数&カバー写真だけは、もう一つ桁が増えると思います。
 早く軌道にのせて、リスナーとして音源を楽しみたいので、自由時間のほぼ全てを使ってサイト工事しています。オープンしたら覘いてやってください。右下にURLがあります。
*言葉を省略しています。掲載するのは「音」そのものではなくて「音」を説明した日本語の原稿になります。

本名とハンドル・ネーム2012年02月11日 13時39分41秒

 ハンドル・ネームってわかるハンドル・ネームでないと、そのままUPして良いものかどうか、躊躇してしまいます。
 
 ですから、コメントお寄せくださる方は、ハンドル・ネームでお願いします。本名っぽくって、(涙を呑んで)掲載を見送った「もったいない」コメントがこれまでに数件ありました。

 ところで、盛岡少年少女合唱隊や指導者の芦名先生の消息を求める方が何人かいらっしゃいます。

 ご存知の方は、こちらまで、ハンドル・ネームで情報をお寄せくださるとありがたいです。

 どうぞよろしくお願いします。

幻想と現実→単に整理整頓の話2011年10月09日 11時29分20秒

 私の部屋は、コレクションしたレコードやCDを保管する部屋としては、世間的には狭いとは言えないとは思うのですが、普通に居住することを前提にして作られた部屋であり、コレクションルームではないので、広さの割りに収納の効率が悪いです。
 結果、あったはずのLPやCDが見当たりません。
 聴きたいときに即、聴きたいLPが手に取れないのでは持っている意味が薄いと思い、この春頃から、整理整頓を始めたのですが、この頃、わかってきたことがあります。それは、現実をおろそかにすると、幻想を見てしまう、ということです。
 たとえば、整頓する前までは、ソロLPなど、イメージの中では、あれもこれも、かなりの種類があるような気がしていました。ですが、ソリストごとに整理してみると、思ったほどありません。あったはずのソリストくんのアルバムも無くて、もしかしたら、聴きたいと思うがあまりの幻想だったのかもしれません。昔、どうしても聴いてみたいCHOIRがあって、ついに夢の中でそのCHOIRの演奏を聴いて感動したことがあるんですよね。そのレベルだったのかも。
 合唱のLPも、部屋中にあふれていて、イギリスの聖歌隊のは「持っている」と感じていたのに、合唱団ごとに整理してみたら、種類も数もそれほどではありませんでした。
 聴かず嫌いも無く、国籍にもこだわらず収集してきたつもりでしたが、コレクションは偏っていて、整理整頓が進むにつれて、レコードが実はそれほど多くはありませんでした。という、現実が見えてきました。
 今はイギリスのCHOIR分が終わり、次はおフランスのCHOIRの整理整頓。
 ひとつの団体なり、作曲家なり、曲なりを、じっくりと聴きたくなってきているので、どのあたりを聴くか・・・興味の行く先を整頓しながら見ているところです。
 特定のCHOIRをじっくりと聴くことで、深いところまで行ってその世界を楽しみたいなあ、とか思います。これも「幻想」に過ぎないのかもしれませんが。