ボーイ・ソプラノ Yves Abel ~ 幸運を象徴する1枚2008年10月05日 22時05分17秒

THE TORONTO BOYS' CHOIR-THE ART OF THE TREBLE (J17327)
THE TORONTO BOYS' CHOIR-THE ART OF THE TREBLE (J17327)

 このLPは、もう10年以上も憧れていて、欲しかったもの。
カバーの油絵?とカバー裏の大人びたソリスト君の姿に惹かれて聴きたい、手に入れたいと願っていました。

 何年も癖のように検索はしていたんですが、幸運にも検索に引っかかり、発注してショップにキャンセルされ(たぶん日本に発送するのが面倒だったんじゃないかと邪推。・・・George Banks-MartinのLPは5回に渡ってキャンセルされプッツンと切れた過去があります。結局Banks-Martinの方は友人に探していただきましたが)、George Banks-Martin発注時の過去を思い出しつつ、でも、めげずに再度ネットに掲載されるのを待って、発注すると同時に「譲れ譲れメール」を送り、やっと受取ることが出来た、イヴ・アベル盤は、ANDREW QUARTERMAINのEPとともに、私の幸運を象徴し、かつ次の幸運にも繋げたい大満足の1枚なのです。


 さて憧れのこのイヴ・アベルくん(で良いのかな? 名前も雰囲気十分)は、手抜きの表現をすると、ウィーン少年合唱団のソリスト的に細く高く繊細な声で、なんというか伴奏のピアノにも似合う声です。
 安定していない部分もありますが、特にも5.Alleluja-Mozartでは声の高さを十二分に堪能させてくれました。
 全部良いですが、5.Art thou troubled?-Handelもボーイ・ソプラノでなければ出せない声で、しみじみと聴かせてくれます。

 ソプラノソリストとしての彼が存在した時代や都市を考えるとき、これだけ歌えるということは、やはり希有な少年だっただろうと思います。

 選曲やシンプルなピアノ伴奏、採録の仕方もあって、目を閉じてヘッドフォンで聴いていると、コンサート会場にいるような錯覚を持ちました。

 又、これまでに色々なボーイ・ソプラノ盤に出会って、録音の時期がもっと早かったら・・・とか、逆にもうちょっと経ってからだったら・・・と、残念に思うこともあったのですが、このイヴ・アベル盤は彼のコンディションが最高の時期に録音の時期をバッチリ合わせた盤でもあります。

 欲を言えば、アルト時代にも1枚録音を残して欲しかったかな・・・と期待を持たせる盤でもあります。

 この盤を発注してから届くまでの長い間(一度日本に来たらしいのですがカナダに逆戻りもしたりしたので)この盤が手に入るのだったら、その年の他の幸運はすべて取上げられても良いという気持ちで祈るように無事の到着を待ったのですが、私にとってはそれに相応しい価値のある盤でした。 (←思い入れがあるだけかもしれないので、お読みのみなさんは必要以上に期待しないこと)

 B面でささやかに共演しているCHOIRも又イヴくんの声質に似た涼しい音でした。

ドレスデン聖十字架合唱団 ~ 言葉の持つ力 DRESDNER KREUZCHOR2008年10月27日 10時31分28秒

シュッツ:十字架上の7つの言葉 ドレスデン聖十字架合唱団

シュッツ:十字架上の7つの言葉 7つのクライネ・ガイストリッヒェ・コンツェルテ(ARCHIV PRODUKTION MA 5012)

Recording : Dresden,Lukaskirche, 2.-4.3.1966, 9.-3.10.1966, 27.11.1966 Leitung:Rudolf Mauersberger


 シュッツの「十字架上の7つの言葉」は導入部の合唱から始まるが、合唱が Da Jesus と歌い出すまさにその Jesus のソプラノだけで胸を締め付けられる。

 罪のない(と設定されている←この辺、他意はなく、宗教論争する気もありません)イエスが十字架にかけられ、こときれる最後の瞬間を表現した作品だから当然といえば当然なのだが、飾り気無く歌う少年たちの声がこれから語られる情景を予感させて重く切ない。

 福音史家はここでは語られる内容によってテノールだけではなくてソプラノやアルト(5人の少年合唱団員)バス等で歌い分けられる。
 そして福音史家にすべてのパートを揃えたことがイエスがこときれる直前を説明するシーンでは4つのパートが揃って歌うことでクライマックスを導き大きな効果を上げるのである。

 導入部の合唱の後、オーケストラ演奏で一息入れて、物語が始まるのだが、最初の福音史家はアルトの少年から演じられる。これがファンにはたまらない。
 福音史家のテノールとイエスのテノール、イエスと共に左右それぞれの十字架に架けられている犯罪人等、バスやテノールの使い分けや歌い分けもしっかりしている。

 無骨にも感じるほどそっけない媚びない少年たちのソロが、「キリストの魂」「神よ、わたしに清らかな心を与えてください」等々、口先だけの記号としてではなく、真に意味を持った言葉として、言葉に力を与えているように感じた。

 最後にLeitung:Rudolf Mauersberger様にお詫び。
 CDで聴いたときには、思いっきりボロボロにけなしてしまってごめんなさい。でも、この頃の、あなたとクロイツの良さは、ストレートな音を聴かせるレコードだからこそ、伝わってくるように思うのです。

REINO DA GAROTADA DE POA (ブラジル)~ 歌声の中に幸せの種2008年10月28日 21時59分31秒

REINO DA GAROTADA DE POA (ブラジル)

Rouxinois de Reino (LP-VS-SP-0019)

 1面最初の曲が「愉快に歩けば」です。
 叫ぶように喉で歌う地声CHOIR。
 トーンが高くて、元気があって、ブラジル版ケルンザーかな。アコーディオン&ドラム系伴奏が南国の異国情緒タップリ。揃わない個々の地声丸出しの声がなぜかとっても気持ち良い不思議な魅力のこどもたちの歌声です。

 みんなが同じ旋律をただただ元気よく歌うだけですが、聴いている私まで元気になってしまう。歌詞の意味はわからないけれど、旋律は自然。今はブラジルからたくさんの方が日本に働きに来日していると聞きますが、ホームシックになったら聞いて欲しい1枚かもしれません。

 頑張って歌うがあまりに声を外してしまう子も可愛らしく、幸せにしてくれそうなこどもたちの歌声です。こどもたちのとても明るい歌声の中に幸せの種が仕込まれているのかもしれません。

レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊~世界を満たす黄金の光の声2008年10月30日 20時30分46秒

レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊

IV. FORSCHUNGSBEREICH Hochrenaissance(16.Jh.)
GIOVANNI PIERLUIGI DA PALESTRINA:Missa Papae Marcelli 8 Motetten(ARCHIV PRODUKTION 14182)

1961年10月6~9日録音  Dirigent Theobald Schrems

 レーゲンス・モードに入るのに相応しいとして、最初にこのレコードを選んで聴いた。合唱が始まると同時に、脳裏にパーッと草原のイメージが拡がった。青々とした草原ではなく、風景全体がどこかうすい黄金の光に染まったそよ風吹く草原である。

 レーゲンスの合唱はおだやかにやわらかくそして限りなく心やさしい。選曲はパレストリーナの「教皇マルチェルスのミサ」とモテット。曲の静かさ清らかさと相まって、各パートが一つの色彩の音(一人の団員が幾重にも人数分の録音を重ねたような音)に訓練されきったレーゲンスの合唱は、聴く者の魂を天上の光で包んでくれる。

 おそらく、神に対立する立場や神の国から遠いことを嘆くたち立場からではなく、神の波動に浴しその波動の一端を伝える立場で作曲したと思われるパレストリーナの作品を、神さまの世界の内側に属している声で歌い上げるレーゲンスのこの合唱は、シャープ感をそぎ落としているが故に、黄金の光となって世界を満たしていくのではないかと思われた。

 教皇マルチェルスのミサ曲は、真偽のほどは定かではないが、トレント宗教会議であらゆる多声音楽が教会から排除されようとしたとき(だろうなあ。宗教音楽って色っぽすぎるもん)、パレストリーナがこの曲を作曲して、ポリフォニー音楽が宗教性と両立しうることを証明して教会音楽の危機を救った作品。なそう。
 だから、ある種の教会音楽にあるような色っぽさはあまりなく、だからといって宗教くさくもなく、魂が徐々に解放されて軽くなっていく。

 ミサ曲は通常文という歌詞しか選べないが、モテットはさまざまな主題を持つ歌詞を選べる、のが違い、なそう。

 レーゲンスの合唱は、光や大気の如く、質感が無い、というか、希薄。
 宇宙空間に浮かんで、360度、あらゆる方向から聞こえてくる合唱に包まれる感じ。
 ハンス・シュレムス・レーゲンスよりはかなり現実的な音、ではあるけれど。

 幾分、少年声に傾いた、各声部の音量配分も技術も完璧で、相変わらず、すきがないほど上手なレーゲンス・ワールドが展開する。