THOMANER CHOR, LEIPZIG ライプツィヒ・トーマス教会聖歌隊 ~ ボーイ・アルトを起用し、理数系バッハを文学的に歌い上げた1枚2009年11月14日 21時02分23秒

THOMANER CHOR
BACH KANTATEN (BACH 105 mono)
J.S.BACH:CANTATA SERIES
THOMANER CHOR
BOYS' CHOIR & GEWANDHAUS ORCHESTRA, LEIPZIG
conducted by GUNTHER RAMIN

昔からのCHOIR友だちが「ラミン様」と呼ぶお方指揮の作品です。
なかなかブチあたらないので今の私には珍しいボーイ・アルトを起用しています。
しかも名前入り。Gernot Schwickert, boy-altoくん。

膨大なバッハのカンタータ大全集にはソロ団員くんの名前がないものもあるけれど、記名入りだと、子どもといえ団員くんがソリストとして扱われているように思えて嬉しいですね。

さて
ラミン様のバッハ。
率直に言って合唱団の出す音が気持ちよいです。
出にくい感じが全く無くて、ストレートに全開!しています。
少年声くんたち・・・変にいじられていない感じの声が素直に響いています。

残念なのは録音状態も盤のコンディションもそんなには良くない、ということ。
・・・ま、10,000円もしないプレーヤで聴いていて言える身、ではありませんが。

安いプレーヤの音の再現力がどんなものかわからないのでなんとも言えませんが、137番の方のアルトのアリアが、同じ或いは似た声が重なって聞こえてきます。多重録音というのかな? ソリストのGernot Schwickertくんが、自分の声ともう一度デュエットしたみたいに、微妙に音が重なって聞こえるし、フレーズの締めのところがズレて聞こえるのです。
大人のバスやテノールとのつりあいでそうしたのか、単に、私のプレーヤがいかれているのか・・・。

それはそれとして・・・。
GEWANDHAUS もTHOMANER CHOR のバッハは、威厳もありますが、どこか優雅で情緒的です。

数学の匂いのするものは、バッハも不思議の国のアリスも、私はどうにも受け付けにくいのですが、ラミン様のバッハは、構築美はほのかに透けて見えるだけで、なんだか作品としては、人肌の温もりがあるように思います。

少年合唱がまぎれもなくブルー系の色彩なのに・・・不思議・・・。

ソリストのGernot Schwickertくんは、あくまでも合唱団系のソリストくんで、団の栄光を背負って誇り高く歌っています。
他にも、この傾向の曲をソロできたんでしょうね。

これってシリーズなのでしょうか。

バッハは大全集が突出して有名ですが、ソリスト群をCHOIR内でまかなったTHOMANER CHORの大全集も聴いてみたいものです。

・・・でも、やはり、ラミン様で、になるのかな~?

ドレスデン・クロイツとライプツィヒ・トーマスによる「マタイ受難曲」~マウエルスベルガー兄弟が構築した神を感じさせる聖書の世界2009年05月03日 14時43分59秒

ドレスデン・クロイツとライプツィヒ・トーマスによる「マタイ受難曲」

BACH:MATTHAUS PASSION (eurodisc OS-2770~3・K 4枚組み) 1970年1月ドレスデン・ルカ教会にて録音
バッハ:マタイ伝受難曲 BWV244

福音史家:ペーター・シュライアー(テノール)
イエス:テオ・アダム(バス)
ペテロ:ジークフリート・フォーゲル(バス)
ユダ:ヨハネス・キュンツェル(バス)
ポンテオ・ピラト:ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス)
大祭司:ハンス・マルティーン(バス)
合唱:ライプツィヒ聖トーマス教会付属トーマス学校合唱隊、ドレスデン・クロイツ教会付属クロイツ学校合唱隊
合唱指導および指揮:エールハルト・マウエルスベルガー、ルードルフ・マウエルスベルガー
合奏:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
総指揮:ルードルフ・マウエルスベルガー

 演奏が始まると、オーケストラの響きも含めて、とても精神がクリアな感じがしました。一切の余計な装飾は排除されて大切なものだけがある、感じです。とにかく澄み切った感じを受けます。最初の合唱で、「罪無き神の子羊よ」のところが少年声だけで入ってくるのですが、あまりのクリアさにグサッときました。対比して聴いてしまう女声もなんだか精神的に澄んでいるように聞こえてきて、違和感がありません。ソプラノは、どうしてもアーノンクール盤の印象が強いけれど、この盤は、配役的には納得できるし自然です。

 アルトのブルマイスターさん、好きですねえ。イエス様のテオ・アダムさん、これから起こる全て(磔獄門)を意識しているのが伝わってきて・・・いいですねえ。(でもペーちゃん役のフォーゲルさんへ。ペーちゃんは、そんなふうにカッコ良くしていないですよ。もっと普通のそのへんの好奇心の強い悪気の無いおじさんです。私が持っているイメージはこの盤とは違うかな。)
 証人のゲルダさんとロッチュさんも一瞬の演奏ですが、すんごく切れがあって上手でした。大祭司さんも威厳がありますね。

 ですが、この盤の一番の良さは、何よりも合唱の響きの成分に含まれているクロイツとトーマス教会の少年声です。天の使徒たちの声は、素朴だけれど、華やかさとはまた違った「素そのもの」の、きよらかさ・おだやかさ・やさしさで語りかけ、日常に汚れた私の心や魂を癒したり浄化したりしてくれるような気がします。
 とにかく、どの場面においても、合唱が入ってくる箇所全てが、この盤の聴きどころです。私が少年合唱を聴き続ける所以、声に価値を見出している所以が、彼らの響きから聴こえてきます。

 そして、ここでの少年声は、天の使徒なのですよね。

 人間サイドではなくて、天のサイドに立って、天の立場から、歌っているような気がします。人間の愚かしさや罪を知りなさい、と。(もしかしたら私、クロイツとかトーマナとか、好きなのかなあ・・・)

 Erbarme dich ・・・心に迫ってきます。ハートがあってブルマイスターさん、大人のアルトもステキですねえ。普通っぽいバスのギュンターさんも好き。マタイには、きれいな曲が多いのも素晴らしい。

 又、少年合唱に戻りますが、私はこの盤における少年声を天の使徒、と表現していますが、セリフ的には人間であるパートも、彼らが歌うと違ってくる。例えば、キリストを「十字架につけよ!」と叫ぶ場面。
 盤によっては、人間の嫉み妬み愚かしさ業等々、人間のどうしようもなく救い難い側面をそのまま臨場感に溢れた状況の中で聴かせられるのですが、この盤では違います。ゆっくりと歌われることで、
「(イエスを)十字架につけよ!と、あなた方が望んだのですよ」と聴いている私たちが確認を求められるような気分になるのです。
 その後のコラールや、各パートのアリア・レチタティーボでも、再度の「十字架につけよ」の合唱でも、それがテンポを落として冷静に歌われることで、その場に居合わせた群衆の一人としての私の行動を自分に問わされる訳です。
 ここまでするか?的にキリストを苦しめ処刑した後で、「まことにこの人は神の子であった」の短い合唱があるのですが、天の使徒たちが天上から人間の気持ちを代弁して歌うかのごとく、旋律もその声も浄らかに聴こえてきます。

 最後近くのレチタティ-ボ。
 バス、テノール、アルト、ソプラノのソリストと順に音が高くなっていく中、合唱が間に絡む曲ですが、ソリストたちが自然なのと、合唱の演奏にも芸があって、例えば、バスの次の合唱には天の使徒くんたちのソプラノの響き成分を効かせるとか、アルト・ソロとソプラノ・ソロの間の合唱は、変声後の使徒お兄ちゃん成分をさりげなく強調した上でソプラノくんたちの声を重ねるとか、演出をしてくれるのです。

 ドレスデン・クロイツとライプツィヒ・トーマスそれぞれで指揮をするルドルフ&エルハルト二人のマウエルスベルガー兄弟によって表現されたこの「マタイ受難曲」の聖書の世界のシーンは、おそらく、その世界で生きている人たちにとって、最も自然に端正に息づき、この物語りの向こうには、「神」の存在を感じることができる演奏になっていると思います。

ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団 THOMANERCHOR LEIPZIG 「マタイ受難曲 BWV244b」~ 不思議と心安らぐマタイ2009年02月22日 20時57分52秒

ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団

2008年演奏旅行記念CD

演奏会場で売られていたCDです。
手にしたとき、韓国語に違和感がちょっとあったのですが、これからは、韓国語や中国語も併記されるようになるんでしょうね。時代ですね。

ソリストは成年男女ですが、全く、違和感がありません。

実際にマタイを歌う方が聴けば、気になる箇所があるかもしれないですが、私は、一つ一つの音の色彩に、抵抗無く、サラッと聴く事ができました。

上手というのとは違うような気もしますが。
安心して聴く事が出来る、というか・・・。

むしろ、テルツの演奏CDの方が、全体的には、どこか、肉感的にも感じる所もあったような気がします。

こちらは、「肉」「体温」を感じさせないところが、心地よいのです。
前の感想とは矛盾していますが。
(所詮、私は、ただの少年合唱ファン)
合唱部分が、清々しいですし。

私の好みでは、テルツよりも、こちらのマタイにマル。

ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団 THOMANERCHOR LEIPZIG ~ 王道中の王道の合唱2008年11月29日 22時04分29秒

ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団

JOHANN SEBASTIAN BACH:KANTATEN BWV 18 UND 62 (ARCHIV PRODUKTION 198 441)
Recording: Leipzig, Hans Auensee, 28.-30.(31.)November 1967
Dirigent:Erhard Mauersberger

 ここでは第18番《天より雨くだり雪おちて》BWV18 Gleich wie der Regen und Schnee vom Himmel falltと、第62番《いざ来ませ、異邦人の救い主》ⅡBWV62  Nun komm, der Heiden Heilandが取り上げられている。

 この二つが何故とりあげられたのかは外国語文盲故に不明。異教徒には計り知れない意味があるのかもしれぬ。

 バッハのカンタータシリーズの対訳を引っ張り出して聴いた。

 あの有名なシリーズと比較するとこちらの作品の方が溌剌として威勢がよいような気もする。けれど少年合唱ファンのバイブル(?)でもあるあのシリーズが世に出てしまったからなあ・・・。

 それから、もう一つ、気が付いたことがある。トーマス教会の合唱は、全体に張りがあって、67年の録音であるが、時代による古さを全く感じさせない。
 どうしてもソプラノやテノール等大人のソリストが目立ってしまって、どちらかといえば合唱の印象が薄いのだが、私の耳には、少年声の音質が理想的な色彩と温度をもって聞こえた。

 この録音では、男声部は研鑽の余地有りと感じたが、こと少年声部に関しては魅力を感じた。

 この時代のドイツの3高峰、レーゲンスのどこか希薄なこの世のものとは思えない木漏れ日のようなやさしさやわらかさ、クロイツの堅固な内にもろさ、もろさの内に強さを秘めた風雅に鄙びた合唱を味わうにはレコードに限る。
 が、このトーマナの合唱は王道中の王道、いわば枝葉をそぎ落とした幹だけの趣があり、時代に左右されない「合唱」の基本姿勢のようなものを感じる。