盛岡少年少女合唱隊《特別演奏会》 ~ 宮沢賢治「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」2009年10月17日 20時58分54秒

The Little Singers of Morioka Special Concert

国際交流基金・日本万国博覧会記念基金助成
盛岡少年少女合唱隊《特別演奏会》
創立20周年・新発足15周年記念
The Little Singers of Morioka Special Concert
1982年10月9日 土 6:00P.M.開場 6:30P.M.開演
岩手県民会館大ホール

と書いてありました。
ライヴLPです。

指揮/芦野真弓  伴奏/渡辺達
ソプラノ独唱 吉田真江
アルト独唱  冨山和香子

第一部 ブルガリアの歌を思い出して
第二部 広瀬量平の世界
第三部 盛岡少年少女合唱隊特別演奏会依嘱作品
宮沢賢治の詩によるペーター・ストゥーペル作曲「日本への歌」


SIDE A
第一部 ブルガリアの歌を思い出して
1.我が祖国
2.五月の風船
3.蝶々
4.露が落ちた
5.私たちのそばの海は青い
6.ここち良い汽車の汽笛
7.平和の旗
8.森の冬
9.歌をつくるのは

SIDE B
第二部 広瀬量平の世界
1.海はなかった
2.海の子守唄
3.走る海
4.海鵜
5エトピリカ


第三部 盛岡少年少女合唱隊特別演奏会依嘱作品
宮沢賢治の詩によるペーター・ストゥーペル作曲「日本への歌」

SIDE A/SIDE B
1.高原-春と修羅第1集・グランド電柱より-
2.林と思想-春と修羅第1集・グランド電柱より-
3.~高原~
4.青い槍の葉-春と修羅第1集・グランド電柱より-
5.報告-春と修羅第1集・グランド電柱より-
6.~高原~
7.馬 (作品第123番)-春と修羅第二集-
8.~高原~
9.曠原淑女 (作品第93番)-春と修羅第二集-
10.雨中謝辞 (作品第1090番)-春と修羅第三集-
11.~高原~

 今でこそ、知らない曲になってしまったものも多いですが、昔々、夏休みになると少年少女合唱団の来日が続いていた頃、ブルガリアの曲は、馴染み深いものでした。
 (私も「5月の風船」を日本語で歌っていたクチですから。)

 盛岡の合唱隊は、とても自然な発声で歌っています。もちろん、ブルガリア語で。

ブルガリアや中国にも演奏旅行をしていたようですが(昔はそういうのが流行っていました)、ブルガリア語で歌われる歌は、まるであっさりしたソフィア少年少女っぽい趣があります。
 「我が祖国」でのソリストさんは、ソフィアのソリストさんそのもの、という声で歌っていて違和感がありません。

 合唱隊に縮小傾向がでてきて久しい頃で、男の子は少なく、女子中高生中心の若い女声で、エレルヘインよりも硬質に聞こえてきます。
 (その後、合唱隊はいつしか無くなってしまって諸行無常)

 広瀬量平の世界の「3.走る海」は、昭和55年度NHK全国音楽コンクール高校の部課題曲です。つまりは、そういう感じの曲が選曲されています。まあ、成りきって勝手に歌っていてちょうだい的に聴いてしまいました。
 …深刻ぶっているみたいで、コンクール向き?の曲は苦手です。
 たぶん、歌う楽しさと聴く楽しさは違うのだろうと思います。

 エトピリカは鳥さんの種類。
 正直、詩を読んでも伝わってこないのに、音で急き立てられてしまうと・・・。
 エトピリカさんの生存ある限り(絶滅危険種?)神はいる、っていうのですが、私は、絶滅種が増えても、何が消滅しても、きっと神はいるんだろうなと斜に構えて存在しているひねくれものなので(どうせ全ては神の意思=私が不遇なのも神の意思)、イマイチ、この手の作品には乗り切れません。

 では、何十年もしまっていたこのレコードを聴きなおしたきっかけが何かというと、ズバリ、宮沢賢治氏にあります。

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

 …人生のゴールが見えてきたような気がするきょうこの頃、宮沢賢治氏のこの言葉が気になるようになってきました。

 音楽になったこの作品とリアルタイム時に出会ったとき、私は、「個人(←私ってことです)が幸福にならないうちは、世界の幸福はあり得ない」と思っていた ちょ~ちょ~自己中な人間。

でも、なぜか今、気になるんですよね~、彼。 宮沢賢治氏。

 この盤には他では聴くことのできない宮沢賢治作品に旋律がついた曲が収録されています。
(というよりも、おそらく最初で最後の演奏が収録されています。)

 作曲者が日本語を解しない外国人。・・・なのに言葉が、自然な旋律にのっているのです。

「海だべがと おら おもたれば やっぱり光る山だたぢゃい」 

 ???・・・。

 詩(文字)だけではわからなかったものが、音で聴いたら、パーッと視界が広がり、風景が見えました。

 たぶん、私も時空を越えたところで、賢治氏と同じような風景を見ていると思うのですけれど。

 長生きしたけれど、私は、賢治氏のような域には達していないなあ・・・というか、遠いなあとおもう。
 で、なんとなく、この音源を出してきて聴いたりしたわけで…。

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」って着想は…すごすぎます。と思います。

 そういう感性の詩人の作品を外国人作曲家に依頼し、旋律を付けて、歌ってしまった盛岡少年少女合唱隊もすっごい感性だと思うわけです。

 ・・・などとトロトロ思い巡らせながら生きているきょうこの頃の私です。

コメント

_ Pinksnow ― 2010年03月26日 18時28分07秒

Wow!懐かしいです。実は私このコンサートで歌っていました。はい、私もブルガリア、そして中国へコンサートに行きました。今は外国の地で暮していて、ふと小中高時代を過ごした合唱隊のことが気になりgoogleしたら、このサイトにたどり着きました。日本の実家にはこのレコードまだどこかにあると思いますが、レコード盤を聞ける機械が今ではなかなか入手できませんよね。
今度日本に帰ったら、このレコード探してみたいと思います。
そうですかぁ、合唱隊なくなっていまったんですかぁ。。。。

_ Nyanda ― 2010年03月27日 08時51分22秒

コメント、どうもありがとうございます。団員くんのお名前がパンフレットにも記載されていますね。あなたのお名前もあるのでしょうね。確かに懐かしいことです。
(私はチラシも保存しています)
とにかく、画期的な録音でした。それだけ録音を残す意味や自信があったのでしょう。
>レコード盤を聞ける機械が今ではなかなか入手できませんよね
そのへんのホームセンターでも置いてありますよ。上をみたらキリがありませんが私は1万円しない機械で聴いていますから。
ご実家にお戻りの際には、CDに焼いて、お持ち帰りされると良いと思います。

今は記念演奏会もCDではなくて、DVDですから、時代も変わりましたね~。

_ Pinksnow ― 2010年03月27日 21時56分50秒

Nyandaさんはこのレコードとちらし、どこで入手したんですか?てっきり合唱隊関係者のみへの販売だと思っていました。
私の少女時代の思い出をこのようにして、世界のどこかで誰かが楽しんで下さっているとは思いもよりませんでした。ありがとうございます。
これからもこのサイト時々訪問させて頂きますね。

_ Nyanda ― 2010年04月02日 04時56分19秒

コメントをどうもありがとうございます。
この盤に関しては、販売されていたものを直接買いました。
今、どちらにお住まいですか?
お住まいの地域によっては、聖歌隊や合唱団があって聴くことができるのかな、と羨ましく思います。

_ Pinksnow ― 2010年04月08日 09時30分35秒

現在はカナダの五大湖近くの田舎町にすんでいます。
北米文化は個人・個性を重視しているので、合唱のようなチームワークはあまりメジャーではありません。
実際choirとかあまり上手ではありません。みんな自己主張が強すぎるんですね。
私が教鞭をとっている公立小学校でも毎年choir clubを作りますが、クリスマスコンサートとかGraduationとかのイベントの一ヶ月前くらいから練習しだすといったような「形だけ合唱団」がほとんどです。ハーモニーとかテクニックとか音程とかは二の次どころか五の次ぐらいで、とにかく楽しくて派手であればオッケーといったところですね。
やはり聖歌隊や合唱団はヨーロッパ、特に東ヨーロッパ、そして集団活動が得意な日本が一番だと個人的には思います。
カナダにいい合唱団があれば教えて下さい。(地元ではほとんど話題になりませんので。)

_ Nyanda ― 2010年05月04日 11時03分58秒

羨ましいなあ。カナダって絵はがきみたいなところですよね。
楽しくないくらいに訓練してもあんまり上手に聴こえないCHOIRもある中で、「とにかく楽しくて派手であればオッケー」はアリ、じゃないですか? 子どもたちが楽しんでそれを聴いた保護者が楽しむんでしょ?よさそ~。

前にも書きましたが、カナダは「ボーイ・ソプラノの国」です。そこでマメにコレクションを探さないなんてもったいない!BS盤探しの、私の特命全権大使になってください。
もう何年も探しているCDがあるのです。

好きなCHOIRは、ST.MICHAEL'S CHOIR SCHOOL 。
来日はしていないと思いますが、良いレコードがあります。
ラバルは何度か来日しているのでうちにもCDがあります。
今ウィーン少年合唱団が来日していますが、2000年来日時のソリストはカルガリBC出身ですよ。

Pinksnow様は、お宝ザックザクのお国にお住まいなんですよ。

_ 仙台@faraway ― 2010年08月11日 22時46分48秒

芦野先生で検索するうちにここへ来ました。
私もこの合唱隊にいた者です。
但し、昭和63年~平成3年の間なので、このレコードの存在は知りませんでした。
ただ、ブルガリアと中国に演奏旅行に行ったことは知っていましたし、毎月持ち回りで隊員向けに、冊子を発行していて、その過去のものにそのような記載があったのも読んだ記憶があります。
小学校5年生くらいの記憶なので、記憶が定かではありませんが。

私が合唱隊に入っていた頃の演奏会は『くるみ割り人形』でした。
演奏会が10月、その少し前の7月には、オーストラリアへ演奏旅行に行きました。

懐かしい思い出で、今も忘れられない子ども時代の記憶です。

_ Nyanda ― 2010年08月14日 17時29分47秒

仙台@faraway様

コメントをどうもありがとうございます。

合唱隊の活動は(とりあえず)終えたわけですが、
かつて活動を共になさった隊員のみなさまの交流の場が
どこかにあれば良いのに、と思ってしまいました。

「くるみ割り人形」の音源もどこかには保存されているのかもしれませんね。
聴いてみたいものです。

オーストラリアへ演奏旅行ですか?
すばらしい。共演は、NBCでしょうか。

そのような合唱隊が盛岡に根付かなかったのは
本当に残念に思います。
もったいなかったですね。

_ BON ― 2011年06月17日 00時57分03秒

懐かしいですね。ブルガルア遠征の直前で退団しましたが、
当時、所属していた唯一少年(小学校2年生くらい)でした。
遠征用に揃えた白いスーツケースが今でも現役です。
芦野真弓先生は元気かな?あれから35年経ってるし(汗

_ Nyanda ― 2011年06月19日 20時07分19秒

コメントをどうもありがとうございます。
貴重な「少年」団員くんでしたのに、退団はもったいなかったですね。
ブルガリア遠征はコンサートの様子等ビデオが残っていないのかな?

でもレコードが残ったのは良かったと思います。
活躍したのに
残っていない合唱団もありそうですから。

_ BON ― 2011年06月19日 21時06分29秒

小学校2年生に海外遠征はきびしいとの親の判断だったんだろうと思います。今でも一曲だけブルガリアの曲を歌えますよ。歌詞の意味は解らないですが(汗  遅かれ早かれ声変わりする少年は退団する時期が来ますし、周りが女の子だけだったんでつまらなかった覚えがあります。県民会館で数回コンサートをした事と遠山病院の看護寮みたいな所で合唱練習してた記憶がありますね。

_ Nyanda ― 2011年06月23日 06時53分09秒

BON様が出演されたコンサート、きっと、私は聴いていると思います。
パンフが出ていれば、私は持っている人、なので、でなかったのかな?

かつての音源が残っているなら、ほかしてしまう前に、CDにして関係者に配布したら良いのに、と思います。
その節には、私も関係者(かつて聴いたファン)ってことでお願いしたいものです。

_ BON ― 2011年06月23日 21時27分33秒

一回も休んでないのでパンフに写ってるといいな。
ただし、並びはチビだったんでいつも最前列のセンターです。
指揮者の芦野先生に隠れてしまってるかも。
もうひとつ思い出したのは、小岩井雪祭りで合唱してTVのインタビュー
に答えた覚えがあります。あの年は雪像にウルトラマンタロウが
あった事、鮮明に覚えてますよ。

_ Nyanda ― 2011年06月26日 10時16分16秒

思い出って良いですね~。
TV録画もどこかにあるかもしれないですね。

_ 神倉 力 ― 2012年02月09日 10時17分05秒

芦野先生はどうされていますか
実は1986年にお会いしたことがあり
鉄火肌の姐御ぶりに魅了されました

コメント欄を見ていると、合唱隊はなくなったようですね
先生は何をなさっているのでしょうか

_ Nyanda ― 2012年07月04日 20時19分04秒

どうもありがとうございます。

私は先生とは面識のない普通の1ファンでしたので何も知らないんです。申し訳ありません。

_ 芦野真弓 ― 2012年10月24日 15時04分11秒

はじめまして、指揮者の芦野真弓です。

実はこの10月2日に母が逝去致し,昔の弟子達が沢山弔問に来てくれ、その中の一人が「先生、合唱隊で検索してみてください。凄く嬉しい書き込みがありますから・・・」ところが、私のPCが何故か壊れて起動せず、本日友人のPCをお借りして拝見致しました。

一行一行に感動しながら読ませて頂きました。

こんな風に聞いて頂けて有り難うございます。

賢治さんの詩は全て私が選びましたが、賢治さんの弟さんの清六さんに当時「あなたはおかしな方ですね。何で人が選ばない詩をこうも組み合わせるんでしょうかね?でも不思議に兄さんが私に好んで聞かせてくれたものばかりなんですがね・・・」と言われた事を思い出します。

今でこそ、春と修羅は有名になりましたけれど、確かに当時は今程ではなかったですから・・・思い出は尽きませんが、今日のところはお礼まで・・・。

私は今は、ピアノを教えたり合唱とは離れてしまっておりますが、もう一度、状況が許され、出来るものなら子供の合唱をやってみたいとは思っておりますが・・・
ただ、残念至極なのですが,伴奏者として,最愛のパ-トナ-だった渡辺達が,今年4月に亡くなり,私と子供達と達との音色は出せなくなりました.気持ちだけでは出来ない現実を知ることとなりました.

_ Nyanda ― 2012年10月24日 21時16分51秒

 芦野先生、コメントと、素晴らしい音楽をどうもありがとうございました。私はかつてコンサートに出かけたファンの一人です。
今、盛岡少年少女合唱隊は、形としてはないかもしれませんが、かつて合唱は確かに存在し、音楽は時空に刻まれていると思いますし、なにより、コンサートのレコードが残っていること自体がすごいことだと思います。
 先生が先生でおられる限り、そこに盛岡少年少女合唱隊の存在のポイントがあります。そして未来に繋がっていると思います。

_ 西六のマサです。 ― 2015年05月15日 23時53分43秒

真弓先生お元気ですか?
西六のマサと言ってもお忘れでしょうね。
ソプラノのソリストのえりっぺの弟です。
偶然、先生のブログを見つけました。
今度、日本クラシックのコンクール声楽の部で盛岡に行く予定です。
西六郷小学校の音楽室でお会いしてから、早30年です。
今は横浜に住んでいますが、盛岡が懐かしく、地区予選にそちらをえらびました。
先生の写真を拝見しましたがかわっていませんね。
大きな声が聞こえてきそうです。

_ Hetsuji ― 2015年05月16日 13時53分03秒

コメントをどうもありがとうございます。残念ながら、ここは真弓先生のブログではないんです。先生がマサさまのコメントを読まれないかもしれないので、勝手ながら、メール(確認したらアドレスがありました)で、先生にマサさまのコメントを転送致しました。以上、どうぞよろしくお願いします。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
スパムコメント対策です。
コメントの上の欄に  少年合唱 の文字を入力願います。

  少年合唱

コメント:

トラックバック