ボーイ・ソプラノ 戻ることのできない日々へ~ Sammy Roelofs2008年09月13日 23時37分41秒

ボーイ・ソプラノ Sammy Roelofs

Boy Soprano Sammy Roelofs Sings (Diadem dlp 174) February 1962- September 1963

 私はこの盤を2001年に聴いている。好きな盤には、たくさん、出会ったけれど、これも又、忘れられない1枚だ。

 これは19ヶ月にも及ぶ演奏の録音の中から編集されたレコードのようである。彼のソプラノを愛する周囲の人たちの熱望によって作られたようだ。曲毎に録音年月が記されているわけではないのでカッコ書きの録音年は私の想像による推定である。

  私の耳には、変声近くなって多少声はかすれ気味で音程は下がり始めたけれど、その分、表現力というと技術でしかないが、技術と言うよりは、聴くものの魂に届く心のこもった歌声(声以上に歌の心が勝っていた時期)に始まり、高い声が楽々出ていた頃、そしてその声が落ちつき始めてコンディションとしては最高の時代(声に歌心が寄り添ってきた時期)、最後は彼そのものであるかの選曲で彼のソプラノの存在の意味を総括したLPのような気がした。

  高音を伸ばす折りのビブラートがレースのようにやさしくて女声的だが、でも曲の節々できちんと音を丁寧におさめる歌い方に凛とした少年の態度を感じる。そして精神的に深いところで歌っている。クリスマスシーズンに聴く歌も、編曲が違っていて倍以上に長く、テンポは遅いので、歌うのはずっと難しいだろうが、豊かな声量・技量の彼の声が、気持ちにスッと入ってきて「敬虔さとは何か」を教えてくれるのだ。

  周囲の人が彼の声をいかに大切に思っていたかは伴奏にも現れている。オルガンだけではなく、カリヨンというのだろうか、外国の町の建物の尖塔についている鐘の音も曲に素晴らしい効果を与えている。ちょっとくらいオルガンが躓いたって関係ない。

  それから、このLPには泣ける箇所がいくらでも見つかるのだ。たとえば、子どもを愛している母親又は母親を愛している子どもは年齢に関係なく「5.For My Mother」で泣ける。声のコンディションも良く又声に心が添っている頃の録音である。声が高かった頃の「3.Thanks Be To God (1962?)」。歌心以上に声が出ていた時代、それでも、曲の終わり、高い声そのものの気迫と「歌う」ことそのものの気迫に泣ける。もちろん、分析は私の独断で本当のところはわからないけれど。私なんか「4.Bless This House」ともなると条件反射で心が泣ける。・・・書き続けたらきりがない。

  まぎれもない「聖なるソプラノ」の記録がここにある。極上の作品である。

  以上、当時の印象メモ。