THE PHOENIX BOYS CHOIR / Let Freedom Sing ~ フェニックス少年合唱団 来日コンサートを終えたばかりの素敵な少年たち2009年08月08日 21時26分24秒

Phoenix Boys Choir
Phoenix Boys Choir / Let Freedom Sing (RECORDS DCD 353)

 録音年は2002年。

 素直で伸びやかでさわやかな歌声が適度な残響を伴って夢のように聴こえてくる。うん、夢の中で聴く歌声ってこんな感じだ。

 変声後の声も入っているところも合唱に厚みが出て麗しい。

 アメリカ的というか愛国的というか、国歌も含めて、彼らにとっての大切な歌が真心から歌われている。共演の管弦楽器も良いなあ。

 指揮者は1992年にウィーン少年合唱団を率いて来日コンサートを行ったゲオルク・シュタンゲルベルガー氏。

 氏の手腕を信じて、少年たちが付いていっているそんな信頼感が伝わってくるすがすがしい歌声が収録されている。

LIVE 国立モスクワ少年少女合唱団 ~ 少年合唱以前に聴いていた歌声2009年08月09日 15時19分39秒

国立モスクワ少年少女合唱団

LIVE 国立モスクワ少年少女合唱団(製作 日本電波ニュース社)
収録 1989.7 新宿文化センター

 今夏、エストニア・エレルヘイン少女合唱団を聴いたので、このカセットがあったのを思い出した次第。

 エレルヘインは、少女というには、ちょっとお姉さんぎみの合唱団。
 少年(子どもという意味)合唱団よりは年相応に安定しているし、かといって、成熟しきった女声の合唱団とも違う青さもあって、これはこれで1ジャンルを作ることが出来る「声質」なのかもしれないとちょっと思った。

 バリバリ大人の男声とは違った魅力が、変声直後の声にあるように、女の子の声にもあるんじゃないかと感じた次第。

 さて、少年合唱団にピントを絞る前は、自然に、ソフィアとかハンガリーとかプラハとか、夢中で聴いていた。少年少女という名前ではあるが、決して子ども向けではない作品群で、この頃の録音には今、聞いても素晴らしいものがある。
夢中になっていた気持ちがよみがえるというもの。

 ただしお財布の中身の関係で少年合唱にピントを絞ってから10年を経てのこの録音。
 買ってしまったのは、このとき、好きな曲が少なくとも2曲あって、チェックしたソリストさん(少女)が2人いたから。

 少年少女合唱団のソリストの少女声は、少女合唱団のそれよりも、若々しくこわれそうなほど繊細で美しく高い。そしてその声だからこその名曲がいくつも録音に残されている。

 結局、私の嗜好癖として、成熟よりも未成熟に完成した「音」が好きなだけ、かもしれないけれど。

NDNビデオライブラリー Vol.1 国立モスクワ少年少女合唱団 ~ コンサートの思い出2009年08月09日 19時49分22秒

国立モスクワ少年少女合唱団

NDNビデオライブラリー Vol.1 国立モスクワ少年少女合唱団(企画・製作 日本電波ニュース社)
1989年7月 新宿文化センター

 恐ろしいことに税込みの定価が8,000円です。好きって怖い。リアルタイムで私は買っちゃっているんですね。
 合唱団で歌っている男の子は1人。ほぼ少女合唱団ですが、「音」はエストニアよりも高いです。見た目、年齢的に微妙に若いから、かな。

( え~い、今、地震じゃ。うるさいのう・・・。)

 2部の歌と踊りになったら、変声前と思われる男の子たちが数人でてきて踊っていましたが。当時は踊りには興味がありませんでしたが、今、見ると、小学生っぽい男の子たち女の子たちがとっても可愛いです。この元気な彼ら、もう30歳を過ぎていますね。・・・などと余計なことを考えたり、ビデオがあることを知っているのかな。見たら楽しいだろうな、なんて思ったり。関係ないけれど。そっかー、スカートの中ってこうなっているのか、なんてことも関係ないけれど。

 ・・・覚えていないんですよね~。ビデオを買ってすぐに見ていたら、覚えていることも多かったかもしれないけれど。なにしろ、今、買って初めてまともに見たので、全く、記憶にありませんでした。

 ソリストの1人がガリーナ・クニシュさん。細く高くクリアなこの人の声が好きだったのかな?
 ワルワナ・シェパリナさん。この人かな? 覚えては居ませんが、音だけよりは映像もあるほうがやはり楽しいですね。

 ん~、映像を見ても、大好きだった曲とソリストさんの詳細を思い出せず。もしかしたら別の少年少女合唱団だったのか?

 メインのソリストさんは、オリガ・ノヴィコワさん。カセットや映像で残っているのは、ロシアやウクライナの民謡、日本の歌、チャイコフスキー等々。
 その何年か前のコンサートでは、合唱には参加していなかった、小さな男の子が出てきて、鋼鉄の声で、鉄腕アトムを歌いだした、記憶があるのですが、こちらもハッキリせず。

 訓練の行き届いた実力Choirではあったと思います。

ボーイ・ソプラノ MAX EMANUEL CENCIC ~ 「歌曲の夕べ」ライヴ録画より2009年08月11日 10時26分25秒

MAX EMANUEL CENCIC

MAX EMANUEL CENCIC SOPRANO RECITAL LIVE WIEN'93
30 MARCH 1993 BRAHMSSAAL, MUSIKVEREIN

 ウィーン少年合唱団 89年来日組 ソリストのマックスくんの退団後のコンサート録画である。

 私は89年を地元で聴いたけれど、ショックを受けるような彼のソロには出会わなかった。たぶん、伝説のソロは、WSKの営業方針(全国を回っていた頃でも、複数回のコンサートを催す都会と一度だけの田舎では微妙に演奏が違っていると当時私は感じていた)だろうが、大都会ゆえ、に行われたものだったのだろうと思っている。

 マックスくんの伝説のソロを聞き逃したのは残念ではあったが、でも当時、目立つ団員くんではあった。WSK団員くんたちの群れにカメラを向けても、結局、彼のところで止まってしまう。「光っていた」んだな、と今になって振り返ったりする。

 彼はある意味、特別な団員くんだった、と私は思っている。マックスくんの名前入りでたくさん残された録音、録画の山。かつて、そういう団員くんが存在しただろうか?

 そして退団直後の複数回のボーイ・ソプラノ・コンサート。(赤いジャケット?の頃)そのとき作られたパンフレットも素晴らしかった。と思う。

 89年WSK団員くんとして来日当時のマックスくんの写真の中に、お気に入りの1枚がある。それは、それほど大きくはないどこかの地域のお祭りを地元民の間で見物している彼を遠くからとらえた1枚で、聡明そうな外国人の少年が自然な表情で小さく写っていた。

 このライヴはそれから4年後。さすがに、BOY の文字が抜けて SOPRANO RECITAL になっているが、小さな写真に感じたマックスくんの自然体ともいえる気負いのなさで、来日当時とそうは変わらないSOPRANOを聴くことが出来る。(客席はけっこう日本人ぽいヒトも多いなあ)
 青年期まえ、輝かしいほどの伸びやかさに満ちたギリギリ少年期の美しさを体現したマックス君がこのビデオに収録されている。

 プログラムが手元にないので、曲名も構成も今はわからないが、「歌曲の夕べ」のタイトル通りの、旋律やたぶん歌の言葉の意味を聴かせる曲が選ばれているようだ。

 ムジークフェラインという背景も素晴らしいが、惜しむらくはビデオなので画質がそろそろ危うくなってきていることだ。

Cantata for Children:THE 21th 「組曲 生きる歌」~メッセージ性の強い歌2009年08月14日 03時24分32秒

Cantata for Children:THE 21th 「組曲 生きる歌」

2001年、元気の旅VOL..8
すぎゆく20世紀と新世紀へのオマージュ
Cantata for Children:THE 21th 「組曲 生きる歌」
(AMJ ABCG-1008) P.1999

 昨日、お盆のお墓参りツアー(墓地4件+α:山のお寺でフィールドアスレチック付き)で疲れてしまって、午後たっぷりと昼寝をし、反動で眠れなくなって、子守唄がわりに聴いたCD。

 コレ、実に面白い。子守唄で眠ろうと思っていたのに、面白すぎて目がさえてしまい、の感想書き。

 歌(歌詞)の意味が命を持って、スーッと、伝わってくるんですよね。
言葉と音が見事に合致してものすごく、メッセージ性が高い作品になっていると思いました。
 言葉が音にピッタリのったときの、ことばの力を感じました。

 生きる意味を自己に問うときに必ず出てくる???の羅列にはちとガッカリというかウンザリかも。
 この詩を書いているヒトがその答えを出し切れて居ないんだろうとは思いましたが、ま、今まで答えを出している詩に出会っていないのでこれも仕方ないとして。

 にしても、面白い。いろいろな意味で。

 歌っているのは子どもが主ですが、役者には役者の表現があり(劇団若草)、合唱団には合唱団の表現がある。・・・良し悪しではなくて「違う」。そして、この「違い」も1枚のCDの中で互いを引き立てあっている。

 世情に疎いので、いつの間にか、フレーベルが少年少女合唱団に変貌していることを知らなかったけれど。年嵩の少女がいないのか?発声法によるのか、それほどの違和感はなかったけれど。(制服も変わったのかな)意外といけるさわやかな合唱。

 でも、合唱の音はTokyo FM の方が好きかな。フワーッとしていて。フレーベルのほうが微妙にシャープ。劇団若草の合唱もホントに劇団?合唱団なんじゃない?ってくらいの合唱。

 ソロについては、どの声も魅力的で可愛かった。女の子も男の子も。

 演奏についても、それぞれの合唱団やグループが、作品に合っていて演奏力もCD自体の完成度も高いと思った。

追記:
あどけない子どもの声で親に聴かせたいような気がしました。
(ニュース見るたび、産んだ子どもは、育児放棄しないで、責任を持って育てて欲しいと感じることも多いため)
amazonに残っています。まだ。

ボーイ・ソプラノ ビクター 少年合唱隊 ソリスト集「過ぎゆく時と友だち」~ 日本のボーイ・ソプラノ&少年合唱史上 永遠不滅のレコード2009年08月14日 09時21分02秒

ビクター少年合唱隊

過ぎゆく時と友だち/竹宮恵子 (Victor KVX-1058)

 竹宮氏は制作日誌にこう記している。

 「私の”作品”を音楽化させるのは難しいが、私の好きな世界”少年の歌声”とレコード作りを結びつけるのは、たやすいことだと気がついた。そういえば日本には少年歌手という存在が見あたらない。欧米では・・・略・・・日本の男の子にカンツォーネを歌わせてみよう!・・・略・・・どこまで歌い込めるか、に挑戦させるんだ」

  制作者の遊び心にビクターの少年たちが応えたLP。今、聴いても、Treble Soloのアルバムなんて、良く作ったなあと感心する。

 ガラスの迷路では繊細で壊れやすい、それこそガラスのソプラノだった久世君が、時を経て、線も太くやさしく甘く安定し、ピノキオへの手紙を歌い上げた。

 ちょっとないハスキーな声の古賀君、ソプラノらしいソプラノの河村君、声に包容力がある日向君、溶けそうなほど柔らかい声の加藤君、とそれぞれが適材適所で歌っている。

(以上、 2000/01/23のメモより)

 今更ながら、の1枚、かもしれない・・・。

 だが、よく歌っているなあ、と今、リアルタイム(P.1979)で聴いたとき以上に感じてしまう。

 ときどき、聴こえる背景の少年合唱も素晴らしい。

 これだけの少年合唱団が消えてしまった(スミマセン 姿を変えてしまった)ことが、本当に残念でならない。

 1枚のレコードの中に、訓練の行き届いたいろいろな声のボーイ・ソプラノが収録されていて、ゆったりと曲を楽しめて・・・しかも日本語で。ものすごく贅沢だ。

 一人一人のボーイ・ソプラノが卓越しているのはもちろんなのだが、たとえば「グリーンスリーヴス」で日向理くんを支える少年合唱団が、今はもうなかなか出会えない音「少年」合唱団の響きに思える。

 このレコードが出た前後は空前の?ビクター少年合唱隊ブーム。

 ファンクラブにも入っていて(たぶん)ファン友達もいて、私もまた、その恩恵を受けたクチだけれど、当時は「VBCが在ること」が当然だったので、世界中に存在している少年合唱団の一つとして漠然と聴いていたに過ぎなかった。
 (あ、VBCってVictor Boys Choir のことで、ウィーン少年合唱団じゃないですよ)

 超コア、超熱心なファンは巷に密かに存在していそうだけれど、極端に需要が少ない「ボーイ・ソプラノ」「少年合唱」というジャンル。

 お金になりそうもないから仕方ないのかもしれないけれど、天使のハーモニーシリーズも含めて、これだけの録音を残した「ビクター少年合唱隊」を失ってしまったのは、かなりの文化的損失だ。

 ゆえに、このような華々しい録音を残した「竹宮恵子」氏の手腕に、感謝あるのみ。

ガラスの迷路 ~ 下世話な日常世界での張り詰めたソプラノ2009年08月14日 09時30分59秒

ガラスの迷路/竹宮恵子

ファンタスティックワールド3
ガラスの迷路/竹宮恵子ファンタジック・ワールド(Victor STEREO JBX-25061) 1978(77?)録音。

 「過ぎゆく時と友だち」のところで、ちょこっと触れた久世ともひろくんが参加したアルバム。

 竹宮恵子氏作品の独自の世界が音になった1枚。

 夏水りせもかなり魅力的だが、Treble Soloファンとしての聴きどころは、繊細なB-Sの久世ともひろくんの声と言える。

 特に「2.ぼくのピアノ」のなかの「すい星のように飛びこんでくる新しい発見」・・・「すい星のように」の箇所のB-Sが、私にとってのこのLPの価値だ。

 在庫管理が悪くて、最初の盤も持っているはずなのに見つからず、復刻盤のアルバムカバーになってしまった。
 残念無念。