The boys' choir "Zanglust" ツァンクルスト少年合唱団 ~ 聴衆のすすり泣き入りのマタイ ― 2008年11月29日 08時37分32秒
J.S.バッハ マタイ伝による受難曲-抜粋(fontana FG-250 MONO フォンタナ・レコード 発売元:日本フォノグラム株式会社) 1939年アムステルダムで録音。1974年発売。
カール・エルプ(福音史家)、ウィレム・ラヴェルリ(キリスト)、ジョー・ヴィンセント(ソプラノ)、イローナ・ドゥリゴ(アルト)、ロウイス・ファン・トゥルデル(テノール)、ヘルマン・シャイ(バス)、アムステルダム・トーンクンスト合唱団、ツァンクルスト少年合唱団(The boys' choir "Zanglust")、ウィレム・メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
これは、第2次世界大戦が始まる年、1939年の棕櫚の日曜日(復活祭直前の日曜日)に、アムステルダム・コンセルトヘボウで行われた演奏会の実況録音である。
2時間余りの演奏を1時間程度に編集した馬場健氏の解説によると、このレコードは、名高いアリアやコラール等をつなぎ合わせるという普通のハイライト盤的編集方法を避け、作品のいくつかのクライマックスを中心に、場面ごとの物語的音楽的一貫性を大切にしたそうだ。
この演奏会では、まさに戦争直前の時代的な暗さの中に精神が張りつめていた聴衆が、キリストを磔にした過去の民衆の行為をあたかも自分がかつて実際にそうしてしまったかのように悔い、或いは自分自身が理解されずにこれから磔になるキリストであるかのように、聴きながら泣いている声も入っている。
約30年前に聴衆のすすり泣き入りのマタイが存在していることは噂では知っていたが、感動する演奏会だったんだろう位に単純にしかとらえていなかった自分自身の浅はかさを恥じ、実際に聴いてみて、すすり泣きの意味の違いに気がつき、愕然とした。
人間というのはちっぽけな存在なのに何故こんなにも愚かで2000年以上も前から魂が進歩しないんだろう?
昔の実況録音は、現代の全てが平面上にクリアに聞こえるCDと違い、湿った黒砂糖の塊みたいに大きくごつごつしていて細部の音がファジーにかすんでとんでしまうのが惜しい。
けれども、そこを差し引いてもこの演奏は、群衆の合唱にも、静かなコラールにも聴いていて心が動く。
ソリストも合唱団もその経歴を私は知らないが歌い方に癖がなくて聴きやすい。
だが、このマタイは実際の演奏者・プラス演奏に感応した会場の聴衆、何よりもそういう状況に追い込んだ「時代」が創った特異なマタイだ。
バッハ:マタイ伝による受難曲」より(PHILIPS FL-4511) 1939年の棕櫚の日曜日、アムステルダム・コンセルトヘボウに於ける歴史的録音。
上の盤の抜粋。
何年にプレスされたものかわからないが、このレコードの値段は1000円。この値段、この選曲を見て、いったい当時、どのような客層が聴いたのだろうと思った。日本にも富裕な方々がおられたのだな。
かつての私の生活にはほど遠い存在だったこの手のレコードを聴くことができる時代になったことを感謝。
63番、78番あたりで、お~マタイ・・・と実感する程度のリスナーではあるが。
抜粋盤というのは、全曲を聴いたことがあるもののためにあるのではないかとふと思った。ああこの曲、聴いた聴いた、とは思うのだが、抜粋は決して作品そのものではないから大曲の場合、良さは伝わりにくい。
この点がミュージカルの抜粋とは違う。ミュージカルなら作品の中の、有名曲数曲でなんとなく満足したり出来る。
不思議なものだ。
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